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理性的な世界と宗教の世界

岡潔は著書「日本のこころ」の中で,次のように述べています.

 

「理性的な世界は自他の対立している世界で、これに対して宗教的な世界は自他対立のない世界といえる。自他対立の世界では,生きるに生きられず死ぬに死ねないといった悲しみはどうしてもなくならない.」

「宗教の世界には自他の対立はなく、安息が得られる。しかしまた自他対立のない世界は向上もなく理想もない。」

―「日本のこころ」,第二部 情緒,宗教について,より引用

 

この記事では,岡が述べている「理性的な世界」と「宗教の世界」の違いについて集合を用いて考察します.

 

まず,「構造の導入」について説明します.

次の1~5の操作を「構造の導入」と呼びます.

 

1.ある集合Dを仮定する.

2.論理式(論理文)Aを仮定する.

3.Dに含まれるすべての個々の要素についてAを満たすか否かを判定する.なお,集合Dがその要素として集合を含む場合,その集合は個々の要素として扱わない.

4.Aを満たすDの要素からなる集合をD’,Aを満たさないDの要素からなる集合をD’’とする.なお,Aを満たすDの要素がない場合,D’は空集合とし,D’={Φ}とする.同様に,Aを満たさないDの要素がない場合,D’’は空集合とし,D’’={Φ}とする.

5.D,D’,D’’から集合族D’’’を作る.

 

1~5の操作から作られた集合D’’’は「構造を持つ」とします.そして,構造を持つ集合を「理性的な世界」とし,構造を持たない集合を「宗教の世界」とします.

次に,上で説明した操作について具体例を挙げて解説します. 

 

まず,次の集合Dを仮定します.

D={1,2,3,4,5,6,7,8,9}

集合Dはその要素として集合を持たないため,構造を持たない集合です.

次に,論理文Aを仮定します.

A:xは素数である

そして,Aに基づいてD’とD’’を求めます.

D’={2,3,5,7}

D’’={1,4,6,8,9}

最後に,D,D’,D’’から集合族D’’’を作ります.

D’’’={{1,2,3,4,5,6,7,8,9},{2,3,5,7},{1,4,6,8,9}}

 

ここで,集合DとD’’’を見比べてみます.

集合Dは構造を持たないため,それに含まれる要素間に差異がなく,対立は生じません.そのため,集合Dのように構造を持たない集合は「宗教の世界」に対応すると考えられます.

一方,集合D’’’は論理文Aに基づいて作られた構造を持ちます.構造の導入により,D’’’に「素数の集合」であるD’と「素数でない数の集合」D’’が含まれ,この2つの部分集合の間に差異が産まれ,「素数であるか,素数でないか」という対立が生じます.そのため,集合D’’’のように構造を持つ集合は「理性的な世界」に対応すると考えられます.

論理文Aにより導かれた構造に由来する対立は日常世界にもよくみられるものです.例えば,自分と他人,公認と非公認,男性と女性等です.

 

次に,論理文を変更した別の具体例を考えます.ここでは,次の論理文A’を仮定します.

 

A’:xは自然数である

A’に基づいて,D’とD’’,ならびにD’’’を求めると,次のようになります.

 

D’={1,2,3,4,5,6,7,8,9}

D’’={Φ}

D’’’={{1,2,3,4,5,6,7,8,9},{Φ}}

 

ここで,D’’’には「自然数であるか,自然数でないか」という対立が生じています.

論理文A’により導かれた構造に由来する対立は,一見すると対立には見えません.Dに含まれていたすべての個々の要素が部分集合D’に含まれているからです.しかし,ここにはΦとその他すべての要素との対立が生じています.現実世界にはこのような対立は,例えば「神と人間」という形で見られます.

 

最後の具体例として,論理文Aに基づき作られた集合D’’’に次の論理文A’’を適用して新たな構造を導入することを考えます.

 

A’’:xは偶数である

A’’に基づき,集合D’’’’,D’’’’’,D’’’’’’を求めると次のようになります.

D’’’’={2,4,6,8}

D’’’’’={1,3,5,7,9}

D’’’’’’={{1,2,3,4,5,6,7,8,9},{2,3,5,7},{1,4,6,8,9},{2,4,6,8},{1,3,5,7,9}}

 

ここで,D’’’’’’には「素数であるか,素数でないか」という対立に加えて,「偶数であるか,偶数でないか」という対立が生じています.ここで,要素”2”に注目します.”2”はD’の中では”3”,”5”,”7”とは同じ部分集合に含まれる要素という関係を持ちます.つまり,「素数であるか,素数でないか」という対立において,”2”は”3”,”5”,”7”と同じサイドに属しています.一方,「偶数であるか,偶数でないか」という対立においては,”2”と”3”,”5”,”7”とは逆のサイドに属しています.このように,複数の対立が生じている集合では「板挟み」と呼べるようなことが起り得ます.

 

以上の議論から,「宗教の世界」と「理性的な世界」の差は「構造の有無」であると言えそうです.

「宗教の世界」には構造がないため,対立が生じず安息が得られます.しかし,構造がないために差異がなく,方向をつけることができません.それゆえ,理想を作ることができず,向上することもできません.

「理性的な世界」には構造があるため,対立が生じ悲しみが産まれます.ですが,構造があるために差異があり,方向をつけることができます.それゆえ,理想を作ることができ,向上することができます. 

また,対立は構造の導入により作られた部分集合の間に生じることは注目に値します.個々の要素同士が対立するのではなく,集合同士が対立しているのです.それゆえ,部分集合を崩してしまえば,対立は生滅するのです.「理性的な世界」から「宗教の世界」に向かうとは,世界にある部分集合を崩していく営みであると思います.そのためには,部分集合を生成する原因である論理式(論理文)を打消す必要があります.部分集合の個々の要素を打消しても,論理式(論理文)がある限り構造は必ず産まれ,部分集合は生成されます.

 

理想も向上もなく生きることは,結構難しい気がします.何をするにも,理想と向上はつきものであり,多くの人はそれを目指して行動していると思うからです.しかし,構造を導入すると対立が生じて悲しみが産まれるのです.それを考えると,「理性的な世界」だけでなく「宗教の世界」も大事だと思います.

 

最後に,この記事全般を通して,「対立が生じるなら悲しみが産まれる」ということを自明なこととして扱っていることを補足しておきます.

 

2019年2月3日―公開

2020年10月7日―修正

 

岡潔―日本のこころ (人間の記録 (54))

岡潔―日本のこころ (人間の記録 (54))

 
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